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執筆者の写真加藤 英範

遺言についてのお話(その2)

更新日:2019年8月22日

前に遺言について書きましたところ、多くの方から「心配するより相談したい」との相談を受けました。

さて、今回は私がかつて遺言相続で出くわした奇特なケースをお話ししましょう。



(1)遺言書作りが間に合わなかった話

20年来の行き来のあった会社経営者の方です。

先妻が他界し、後妻さんと再婚。子供は、先妻の子と後妻の子ありでした。後妻さんより先に他界すると予感して、一度遺言書を作ったのですが、後妻さんが先に死亡され、改めて子への分配に苦慮されつつ、私と相談しながら遺言内容を決めました。遺言書案文をワープロ打ちして公証人役場に持ち込み、公証人面接の日時も決めました。

ところが、熱い8月の盛り、突然入院されました。ご本人もまわりも退院間違いなし、病名も重病ではなかったのです。ところが、事態は急転直下。「先生、昨日父が亡くなりました」の報。「え!」絶句。

遺言書のないままでしたので、いわゆる「争族」の関係になるやもと覚悟したのです。私が相続人との長い行き来があり、私が「お父さんの意思が公平だった」と話をしたのです。遺言書案にご本人のサインをもらっていたことも助けになりました。

話合いで、「案」通りで、遺産分割協議が成立しました。

ご本人の姿を思い出しながら「まあよかったですよ」と心でお伝えしたような次第でした。


(2)間に合わなかった話の二つ目

知り合いから電話がありました。

「先生、うちのオバアチャン、雪の中裸足で逃げてきて、私の家にいます。長女の家から逃げてきたのです。85歳です」

翌日、土曜日でしたが事務所に来てもらいました。おばあちゃんと妹さんらです。おばあちゃんはしっかりした口調で「長女宅に閉じ込められて外出させてもらえない」「私の遺産は、(姉妹)三人に公平に分配してもらいたい」と話されました。すでに長女との間で公正証書遺言にサインをしたようで、その内容は推測できるものでした。

私は早速、週明けの月曜日に遺言を作りましょう、財産目録などを作りましょう、公証人役場に手配しましょう。と伝えました。

翌日、日曜日でした。夕方、「オバアチャン、亡くなりました」「えーー?!」。

その後案の定「争族」関係となりました。

おばあちゃんが、自らの心の命ずるところは、公平な分配を何としても実現したいという一心でした。雪の中を走らせたのでした。

残念なのは、85歳の歳が、その一心についてこなかったのです。

私の反省。遺言書作成は、高齢者の場合はとりわけ本当に速やかに。

なぜって、遺言書作成は人生の総決算の一つです。精神力のいる作業です。高齢であればあるほど、速やかに作成して安堵してもらう。このことを学びました。


(3)間に合った話

「先生、明日入院しますわ。手術は一週間先です。腰の骨の再手術です」「遺言書を書いておこうと思うけど、退院してからでもいいかなとも思って。先生の意見を聞こうと…」

電話の向こうには、実業家である彼女。80歳というには若い、はりのある声がありました。

私は、もう失敗は許されないと、即決でした。「作るのなら思いついたが吉日だよ。作りましょう」「いつでも作り変えることができるのだから」。決断を求めました。

数日内で多数の物件目録を作り、内容を聞き取り、公証人を入院先の病院に呼び、忙しく公正証書遺言を完成。

彼女は、何の心配もなく手術台に。

幸い手術は成功したと親族の話。それからあとが大変でした。退院できなくなり、意識も曖昧、植物人間のようになってしまったと。

遺言書は完成したので、そのことは良かったのですが、こんな形で遺言書が生きてくるだろうとは予想外でした。

人生の一寸、いや一刻先を支配することもできないな―――変な気分です。

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